本展



『牛をみつめて 小越将吾 in AZITO. – vol.3』



『What’s happene』
マカロニ坂田×木佐貫湧雅



KDU春のアンデパンダン【P展!】


[イラストレーションの現場から] in 神戸
「illustrtion FILE EXHIBITION」



杉浦康平 第二回特別講義



谷中亜紀展ー水面からー



おいでよ おはなしの森



『ストレンジ・アストロノーム』



ずーたのおもちゃ箱



ウラカオス展 vol.3(前編)



崔琴美 イラストレーション展
『poco a poco』



ウラカオス展 vol.3 (後編)



龍神悦子展
『Our・・・私たちの・・・』



瞬く展



谷口拓郎 写真展【青の魔法】



『春よ、来い。』グラフィクス展
from Museum Road



杉浦康平 第一回特別講義



絵本制作基礎 学生作品「絵本展」



中野夕衣 個展#8
『ロマンチック・マーチ』



小越将吾 個展『introooooo』



12Vグループ展



本の栞コンペでW受賞



近藤麻矢 個展「地平線がいっぱい」



「学生デザインのノートができました!」



徐愛琳個展「いいとこ、台湾」



摩耶山[魅力アップアイデア]ポスター展



祈りのツリーproject



ミュージアムロード
阪急アーチ橋ペイントが完成!



グループ展「メルヘン」



iakoyaknan大サーカス
reve dore×モリワキマナ



AIS展XX・2012



「英国文学十四行詩集 vol.1 ディケンズの夢」



グループ展「三位一体(トリロジー)」



ブックデザイン国際公募に3名入選



グループ展「森」



小越将吾 ライブペイントで参加『NYORON』



立体/実験Vol.2『秋の絶対風景、バランス問題』ヒロナカゼミ有志展+イラストレーション演習



『横山夏子 個人的卒制1.8次審査』



高齢者虐待防止啓発ポスターを
デザインしました



『安藤太壱 個展 TEKITO展』



寺門ゼミ 3回生展



戸田ツトム (装幀)/大学院博士課程 國久真有 (絵)
『ヴァーチャル・ウィンドウ―アルベルティからマイクロソフトまで』



『神戸アートマルシェ2012』



廣中薫 個展「東-海-道 (EAST,SEA & ROAD)」



絵本原画展『僕と君の昨日の話』



永井健一 個展『From Anne』



永井健一 参加
『Mon MANGA Favori』



さかきあゆみ個展
ドキ!ワク!!ぐるっとおっさん47人に出会う旅



井口美彩貴さん・菊本瑞穂さん参加
『日本ZINE!紙フェス in Himeji 2012』



崔琴美 イラストレーション展『アイロニカル』



AM.zoo 『fattoabito.C』



小越将吾 ライブペイントで参加『NYORON』



横山夏子展『自主的卒制 1.5次審査』



長松朋美 米原梓美 2人展『憧憬』



中野夕衣 個展 #7
『ロマンティック・ロマンチカ』



卒業生ケント・マエダヴィッチさん
『雑誌 illustration コンペ
第183回ザ・チョイス』入選



『くつした展』



「陰影論」講義 戸田ツトム
~出版の報告とレクチャー~



久本助教「キリンちゃん」学研教育出版



『荒木・大江ゼミ ゼミ展』



小西あかね個展『ソウロウ』



特別講義のお知らせ



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ヒロナカゼミ展覧会 【ペタペタ展】



特別講義のお知らせ



マエダトシユキ個展『ON MAP』



アミューズメントパーク



ART SPACE AZITO. 開廊一周年企画展『ノスタルヂア』



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ケータイ用vlog


    

2011.05.22

25年後の春、プチ走馬灯

金子 照之

 4月下旬、親友の猛からメールが届く。母校の小城高校で毎年5月3日に「黄城会総会」という同窓会があり、旧制中学時代の卒業生から在校生まで幅広く集まって盛大に挙行、在校生の時は参加したけど卒業後はたぶん参加してない、1回行ったかな? 記憶があやふや。その同窓会へ帰ってくるかどうかの打診だった。卒業25年目の輩が実行委員会を組織して企画運営、今年は俺たちの学年が担当、先輩からの引き継ぎ、後輩への引き継ぎを含めると、足掛け三年の苦役、まるで前厄、本厄、後厄みたいだ。「なんでこんな大変ことをしなきゃいけないんだ、ほんとに往生(黄城との掛詞)します」と呼ばれる奇習、長年続く伝統行事なので「もう終わりにします」と打ち切る訳にもいかず、懐かしい再会と絆で続いてる。美術部だった者がチケットやチラシなどのデザインを担当してるそうなので、美術部の平部員だった俺は昇平部長のチラシ制作を神戸から遠方支援、最小限の仁義は果たし、同窓会に行くかどうか思案してた。猛のメールによると、もし俺が参加するなら、美術部の恩師金子剛先生が一緒に行動したいそうなので電話してみて、とのこと。早速、先生に電話してみた。俺たちの卒業と共に14年勤めた小城高から異動した、思い出深い学年の総会だ、参加するのは今回で最後だろう、これを逃したら二度と行くことはないだろう、俺と一緒に行きたいと熱望されたので、恩師の勅令は無条件遵守、当日早朝に神戸を出発することにしたら、佐賀駅で先生が出迎えてくれるという、かたじけない御厚意を賜る。

 始発5時26分の地下鉄で出発、鹿児島まで行く新幹線みずほの自由席は超満員、トイレの前でずっと立ちっぱなしだった。観光バスみたいに補助席があったらいいのにと思ったけど、それでも全然足りないと気づき、飛行機みたいに全部指定席にしてほしくなる。俺の足元で気分悪そうにしゃがみ込んでる男の子がいて、「トイレで吐いてね」の願いが叶って博多に無事到着、駅ビルは改築されて凄くきれいになってた。佐賀駅で先生と合流し、小城高へ向かう。芸術新潮が青木繁没後百周年の特集号を出すらしく、「八日目の蝉」の角田光代さんが取材に来て、先生がいろいろ案内したそうだ。どんなふうに載るか、ちょっと楽しみができた。小城高には青木繁の絶筆「朝日」の実物が飾ってあったこと、2つ上の先輩たちが文化祭で朝日の模写を描いたこと、1年生の美術の授業の初っ端に青木繁のレポートを書いたことを懐かしく思い出す。

 ほどなく小城高に到着、同級生がたくさんいて、受付,会場案内,司会進行など役割分担してる。すぐ思い出せる人、顔は判るけど名前を思い出せない人、全く面影が無くて初対面のような人(相手が俺を知ってる場合、気まずい)、そもそも高校時代にほとんど知らなかった人かも。25年は結構長い時間だけど、過ぎてしまえば儚い。会場の体育館には折りたたみ椅子が並び、壇上右側の壁に朝日の模写が飾ってあった。


黄城会総会の様子

猛と昇平

 途中からの参加だったので、会計報告や評議員承認などのお堅い話は既に終わっていて、ひょっこり再会した6つ上の西先輩の隣でアトラクションなどを気楽に眺めた。己の老化現象を嘆く西先輩は紅白エビ養殖で一攫千金を狙ってるようで、昔みたいに怪しい雰囲気はそのままで、なんだか嬉しかった。卒業50周年の御祝いもあり、68歳の卒業生たちが壇上に並ぶ。存命者は約1/3、単純計算を強引に当てはめると、卒業25年目の俺たち世代で生き残ってるのは約2/3、これからの25年で半数は死ぬのか、五分五分だな。人生80年の平均前で死ぬ人も多いけど、40歳の4月から始めた目指せ1万枚画集が成就した暁に、俺は晴れやかな気持ちで壇上に並んでみたい。

 もらった弁当を先生の車の中で食べつつ、駐車場のそばにそびえ立つ巨大な楠を見上げ、きれいなアオスジアゲハが舞ってたことを思い出す。高校生の時には知らなかったけど、アオスジアゲハは楠で育つらしい。小城高で一番懐かしい場所、美術室に行ってみる。知り合いは誰もいないだろうと思ってたら、顔見知りの石丸くんが美術の非常勤で赴任してたのは嬉しい驚きで、気兼ねなく見学できた。美術部の学生たちは遊んでたらしいけど、急遽3分クロッキーを始めてた。全身の動きを速描するのがクロッキーだけど、ちまちま描いてる学生が多く、見兼ねた先生は即興授業を始め、「自分も動いて描いたり、1枚の紙にたくさん描いたり、ムーブマンを捉えるのがクロッキー、ロダンのクロッキーは素晴らしかですよ」と指南する。


懐かしすぎる美術室

先生と石丸くん
美術室の奥、先生の部屋にも入る。先生が自宅から運び入れた冷蔵庫がまだ現役で活躍中、老兵の風格が漂ってた。弁当を一緒に食べた部屋、灯油ストーブでおかずを温めたり、餅を焼いたり、先生が雑煮を振舞ってくれたり、カラフルなカビが生えた餅を食べることにビビってたら「焼けば大丈夫」とのことで食べたり、野菜が足りない時に「畑から野菜を取ってこい」との指令を受け、身を屈めて生物室前の畑から取ってきたこと、県内スケッチ大会の前に高校球児を真似て丸坊主にして気合いを入れたり、使い終わった油絵具のチューブを鍋で溶かしたのを竹筒に流し込んで延べ棒にしたり、そのときの蒸気を吸って凄く気分が悪くなったこと、先生の墨彩画の裏打ちを何度も手伝ったこと、塩漬けにするための桜の花を摘み、茶碗の中で塩漬け桜が再び開花して揺らめいてたこと・・・懐かしい部屋に入ったら、走馬灯みたく次々に回想した。美術室の近くに新設された浄化槽の中に俺が入ってみた直後、猛が蓋を閉めたので暗黒狭所に閉じ込められ、なぜか蓋が開かなくなり、たまたま通りがかった家庭科の先生が動転して消防や警察を呼んでしまって大騒動になる。酸欠で息苦しくなってきたので蓋を蹴り上げたら脱出できたけど、教頭,進路指導主任,担任などにこっぴどく叱られ、職員室で正座させられたことは、今でもはっきり憶えてる。残念なことが発覚、文化祭で模写したゴッホの星月夜、裏に将来の自分たちへの手紙を貼ってタイムカプセルにしてた絵は跡形もなく消えてた。

「ゴッホの星月夜」模写完成記念写真

 中学時代の恩師、小城高美術部の先輩で、「小城高へ行くなら美術部に入れ」と勧めてくれた平江先生に会いに行ってみたけど、生憎の留守だった。せっかくなので、少し足を延ばして多久市郷土資料館に行く。草場佩川という人の書画が並んでた。電気学会を創設した志田林三郎という先人がいて、1888年の「電気学会雑誌第一輯」復刻版が飾ってあった。古文書みたいな和綴じ本は工学雑誌らしくなく、お経を連想するほど珍妙だ。俺が参加してる電気関係学会連合大会と縁の深い電気学会の創設者との思いがけない遭遇だった。

 龍登園で同級生に絞っての同窓会、酒を飲まない俺は先生の代行運転手として参加する。子供の頃、夏休みの町内会遠足で出掛けたホテル、波のプールで溺れて沈み、ぼんやり水面を見上げてた俺を監視員のお兄さんが救助してくれたことを思い出した。誰でもそうかもしれないですが、死にかけた体験はいくつかあり、長生きは簡単じゃないのだ。互いにプロレス狂だった計介と再会、当時の熱い思いが蘇り、出会い頭のラリアットで相打ち、俺は素早く横へ回り込み、バックドロップの体勢で持ち上げようとしたが、計介の腹周りが太くなり重くなったのか、俺の瞬発力が衰えたのか、少しだけしか持ち上がらなかった。肩や腰を痛めるかもしれないので無茶は厳禁の安全第一ながらも、威勢良く持ち上げたかったな。アントニオ猪木を指導したカール・ゴッチのように、死ぬ間際までトレーニングしてた元気な爺さんなら、簡単に持ち上げるだろう。日々の運動不足を解消せねばと痛感する。

 ネットで予約してた宿、佐賀市内最後の1部屋だった「あけぼの旅館」にチェックイン、青木繁も滞在したことがある旅館。毎年、黄美展(小城高美術部OB展)の折に先生を囲んで新年会をしてる旅館だけど、泊まるのは初めてだ。先生が「朝飯ば付けてあげて」と女将さんに壱万円渡し、「おいの車ば貸すけん、明日、平江先生に会いに行きなさい」との計らいを賜り、翌朝、会いに行けた。先生に佐賀駅まで送って頂き、心底ありがたかった。血縁関係を超えた息子のように気に掛けてくれる先生、深い恩のある師匠、まさしく恩師との出会いが無かったら、今の俺はいない。25年後の卒業50周年、先生は97歳、また一緒に行けるかも!

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