投稿一覧

   新着順

フライヤー内面

フライヤー外面

おはようございます。潔です。
抽選漏れ?かどうかは分かりませんが残念でした。
まあ、時期尚早ということでしょう。
まず、これからの新生活の足場を固めてから・・・
阿弥陀様のお導きと考えましょう。
さあ、「金子照之君長崎県立大学教授就任祝賀会」
「第3・4回潔先生による清の貼絵教室」
「追悼陣内久紹展」ポスター、フライヤー、そして図録編集作業
からの展示準備等々
気力体力財力を傾けて、全力で取り組みますよ。

照之です

 福岡市美術館への個展申請は却下でした😱また申請してみます😙

2024.03.25

照之君へ
おかげさまで背景処理できました。
完全とは言えないまでも、97%OK
どうしても影的な部分や他の映り込み的なものがちょっとだけ残ります。
後は二つの画像処理ソフトを駆使して、手作業で仕上げています。この作業がちょっと手間ですが頑張ります。また、無料お試しソフトなので1日1枚しかダウンロードできません。まだ時間はあるので有料にしないで、こつこつやっていきます。図録に載せたい着物画像は20点以上ありますが、1か月あればなんとかなるでしょう。
また、制作プロセスや資料的な貴重なものもたくさんあり、かっこよく展示できるように試行錯誤しています。4月からは近くなるので、色々とサポートをお願いします。とりあえず、31日の組長の話を一緒に聴けたら嬉しいです。平江

平江先生

 オンラインツールのMyEditを使って、ばっちり背景除去できたんですね㊗️ 無料でも結構いろいろできるので便利です。

 来年度から非常勤講師なのでサーバー管理者の権限が無いそうで、黄美会HPを運用してるサーバーは9月末に停止することになりました。従来は即停止らしいですが、半年猶予をもらえました。10月からは新しいサーバーで継続できるようにします👍

照之

おはようございます。
何かと多忙な時にありがとう。
きめ細やかでリアルタイムのサポート
本当に助かっています。
ポスターの画像も照之君紹介のアプリ?(HP)で
できました。
これからも校正よろしくです。
平江

平江先生

 3月分の原稿をしみじみ拝読しました。マイナスは気にせずプラスを伸ばしたり、マイナスをプラスにしたり、できることが増えるのは嬉しいです。2月の投稿文、掲載されましたね㊗️

 追悼展チラシの冒頭、「Hisathugu」になってます。仮名入力すると「ひさてゅぐ」、「Hisatsugu」ですね。

 13日までに研究室を退去しなきゃいけないので、本棚の書籍などをダンボール箱に詰めたら、取り敢えず買って来た20箱じゃ足りんかったです。アート引越センターの見積もりは約47万円で驚きました。クロネコ営業所へ自分で持ち込んで、宅配便で送ることにします。たぶん15万円ぐらい?
 4月からは非常勤なので、まだ退職しない感じですが、昨日は三宮の「味加味」という店で、主任,助手さん,私の学科送別会でした。他学科や退職した教員も駆けつけてくれて、楽しかったです。写真は長崎出身の永吉先生が作ってくれた私のフィギュアです。数年前に3Dスキャナーで計測してもらってた全身データを3Dプリンターで印刷して銀塗装、足裏に磁石を仕込んであり、台にくっついて立ちます。ターミネーター2の悪役みたいで嬉しいです。実家は浜口町の「なかよし食堂」らしいので、食べに行こうと思います👍

照之

2024.3.8 平江潔
昨日、3月分の原稿を投稿しました。
ちなみに、「追悼陣内久紹展」の準備も順調に進んでいます。
関係のみなさんには3月下旬に趣意書をお送りします。
よろしくお願いします。

「なのにとだから」
 目が見えないのにピアノが弾ける。海苔師なのにラ・カンパネラを演奏できる。
 「漁師だからピアノなんて」とか、「障害があるのに、できる」とか。その背景には、「障害があるから、できない。できるはずがない」という先入観や障害観が横たわっている。
 聴覚障害児の親が子どもをピアノ教室に通わせるというエピソードがある。「たとえ聴覚に障害があってもピアノを弾くことができる」「聞こえる人間と同じように育てたい」という願いが後押しする。
 我が家の4男はアトピーで1歳前後から卵やお米を食べると強いアレルギー反応により、血が出るまで搔きむしり入院治療も試みた。「何も食べられないのでは」と心配したが、医師から「食べられるものはたくさんありますよ」というアドバイスを受け、食卓は和食中心のメニューとなった。気が付けば家族も病気をしなくなった。
 わが子の障害や病気の宣告を受けると親はできないことに悩み将来に不安を抱く。しかし、できることに出会うと子育てを楽しめるようになる。
見えなくても聞こえる。声は出なくても、筆談や手話で会話できる。走ることはできなくても車椅子でスポーツもできる。
 できないことにばかり目を向けずにできることを探す、続ける、伸ばすことで才能が開く。
 県立美術館では山下清展が開催される。ドラマ等の影響か、すばらしい貼絵作家という本質よりも、ユニークな逸話が「障害者」という印象を与えている。
 清の作品を素直に観れば、絵を描くことが純粋に好きだったことが伝わってくる。
 好きなことを続けていれば、たとえ有名な画家やピアニストにはなれなくても、充実した幸福な人生を送ることは誰にでもできる。

アールブリュットの定義
解釈や立場で色々ありそうです。
正規の教育を受けていない・・・というならば
現代において日本には、ほぼ、アールブリュットにカテゴライズされる作家はいません。まあ、そんなのかんけいねえ!
明日まで、武雄で、大和の時の教え子が個展開催中
昨日の佐賀新聞で知り、今日行ってきました。
色々、話もできました。21歳独学、動画も自分一人で撮影編集
ぶっ飛びました。
「障害」者なんてかんけいねえ!
まさしく「才能」を見せつけられました。
まあ、見てください。
2024.3.2 平江

平江先生

 ㊗️山下清展、3月31日の組長ギャラリートークに参上しようと思います。2011年に明石市立文化博物館でやってたのを観に行きました😊創作する人はみんなアールブリュット的な部分がある感じ。先日、博士論文の公聴会に行ってみた時、ヘタウマを研究した学生がいました。ヘタウマの定義は無いそうで、自分はヘタなつもりじゃないのにヘタウマと呼ばれてる人もいるみたいです。アールブリュットも定義は難しいけど、「イイモノハイイ!」ですね。

 3月末に長崎へ荷物を運びます。金曜丸一日、神戸で非常勤講師することが正式に決まりました。神戸と長崎を行ったり来たりの勤務ですが、佐賀の近くに戻れて嬉しいです👍

 今日は猛の14回目の誕生日です🎊

照之

続編
展覧会フライヤー裏面
良かったら!あなたも!参加しませんか!
アートはみるだけではダメだ!
手を動かせ!足を使え!
です。

2024年2月29日 閏年(じゅねんとも読むらしい)早朝・雨
佐賀県立美術館で「山下清展」が開催されます。
結構大がかりな展覧会のようです。組長は番宣に駆り出され、近々、毎日のように放映されるようです。(約3分のドキュメンタリー?)
組長は6回のギャラリートークもやります。そして、ピンチヒッターの私は「貼絵教室」(ワークショップ)を4回担当します。一昨年から毎週やっている「通所施設でのアート教室」での実践が役に立ちそうです。
ちなみに、この企画に関して、「アールブリュットとは?」「障害者アートとは?」「山下清はアールブリュットか?」などなど、猛勉強中・思考中です。一定の頭の整理はつきそうですが、答えは出ません。・・・「イインデス!」
平江潔

追記
ちょっとググってみたら
ろうわ連盟のホームページにマーク(たつの落とし子)の解説を発見
思い出しました。この話です。
「マークデザインについて」
龍の耳が海の中に落ち、耳は転じて龍の落し子になる。ろうとしての龍の耳が海の中に落ちたことになれば、たつの落し子はろうあ者を象徴するシンボルになる。たつの落し子は耳を型どっており、愛嬌があり、全国のろう者のマスコットとされている。これを全日本ろうあ連盟のマークに採用した発案者は大原省三画伯である。全国にいろいろな龍の落し子のマークがありその統一をはかるため、新しく作成することになった。第14回全国ろうあ者大会のマークが非常に好評なので、この機に全日本ろうあ連盟の正式マークとして利用することとした。このマークは次の三点をポイントにデザイン化したものである。

・3月3日耳の日にちなんだ「3」の数字
・ろう者の「ろ」の字
・耳のかたちを総合して、単純な表現で見やすいもの。

余談
3月3日は語呂合わせで耳の日 だが、ヘレン・ケラーの恩師の恩師、グラハム・ベルがサリバン先生をケラー家に派遣した日でもある。そして、その日はベルの誕生日。ベルは聾学校の教師で妻は聾学校の教え子、いわゆる聴覚障害者、ベルの母親も難聴者という説がある。ベルが何故電話を発明しようとしたのか。愛する妻が遠くに居ても声が聞こえるようにという願い・・・テレ・コミュニケーション・・・テレ=遠く・・・テレフォン
色々と因縁めいて面白い。ちなみにサリバン先生の誕生日は10月20日
色々とムリクリに結びつけてしまう悪癖
ちなみに6月6日は補聴器の日 

照之さま
色々と勉強していますね。
私も色々と勉強になります。
龍はいつどこで生まれたのかも知りませんが
多くの絵師が描いていますね。
耳がある龍もいれば、そうでないものもあるようです。
龍の下に耳がついて「聾」になったいわれも知りませんが
確かに不思議な感じです。
そして、想が生まれたのが辰年。
想は聴覚障害者の障害レベル(障害者手帳等級)は聾です。
しかし、手話は使いません。音声日本語中心の難聴者です。
ちゃんと理解するためには平江の講義を数時間受講しないと難しい?
ややこしい世界です。
まあ、学びと思考と行動を続けていくしかありません。
そういえば、原田マハの小説「風神雷神」で幼少の俵屋宗達が
織田信長の前で象を描くシーンがあります。
見たこともない象を宗達は生き生きと描くのです。
想と像

平江先生

 福岡市美術館からの申請書受け取りメールには「こちらはたいへん多くのお申込みがある施設となります。ご希望に沿えないこともあります旨、ご了承いただければ幸いです。」と書いてあり、個展OKの確率は低そうですが、万が一採用されても、敏腕プロデューサーの平江先生がいるので鬼に金棒です㊗️

 「耳がない=聞こえない」の連想で、耳がない龍みたいなタツノオトシゴが聾者のマークなんですね。「龍に九似あり」、龍には9つの生物の特徴があり、耳は牛に似てるらしく、「龍には耳がある」ので、第一段の前提が違ってました。龍は架空の生物、何でもありの空想話なので、いろいろ混乱します。前提命題が偽なら何でも真になるという「空虚な真」と似てるなと思いました。耳を切り落としたゴッホは聞こえなくなってないだろうけど、「耳がない=聞こえない」と連想しがちですね。タツノオトシゴは補聴器に似てるので、そっち方面の話に結びつけたら良いかも???

照之

おはようございます。
照之君はこれから九州を地盤として活動できそうですね。
微力ながらも応援します。
昨日、今年のスケジュールを整理していて
秋にイベント(個展か何か)をしようと思っていたところ
以心伝心電信柱?
タツノオトシゴの話は・・・
又聞き的な説なので・・・海老も佃洲もありませんが
聾の人から聞いた話で・・・確か聾啞協会かなんかの手帳に書いてあって
龍の下に耳と書いて「聾」
「龍には耳がない」=「きこえない」
「龍の耳は海に落ちてタツノオトシゴとなった」
「ろう者はタツノオトシゴである」という説
だから、聾者は龍の子ども。
というような、三段論法的な話です。
平江潔

照之です

 2月の投稿文を拝読しました。漢字の由来は不思議ですね。
「龍には耳がない」は「タツノオトシゴには耳がない」の誤記?

【NOMA個展の後日談】
 二科展入選作「Pandemic Life」を副島義憲さんにご購入頂きましたが、残念ながらキャンセルになりました。ググってみたら、後輩が勤めてる兵庫大学の理事だったので、後輩にメールしたら驚いてました。佐賀北高野球部出身で、北高が夏の甲子園で優勝した時には全試合応援に行ったそうです。
 福岡市美術館での個展を熱心に勧められた下尾幸生さんをググってみたら、三瀬の陶芸家で、福岡市美術館でも個展されてました。黄美展の会場で「二科展に応募してみなさい」と勧めてくれた蒲原紀亜さんを思い出し、二科展に応募し続けたらあれこれ受賞するようになったなぁ、お爺さんからの勧めは積極的にやってみようと思い、ギャラリーCまたはEでの9月の個展を申請してみました。3月末に利用可否の通知が来るそうです。もし個展OKだったら、約40mの壁面なので、B1パネルを40枚くらい作るかもです。

2024.01.31

今日、1月31日は次男:想と三男の長男、孫の湊の誕生日です。というわけで、2月分の文章を投稿しました。さてさて、ボツか否か、楽しみに待ちましょう。

先天性重度難聴の次男は辰年生まれだ。現在は長崎県の水産試験場に勤務し、休日返上で養殖フグの世話に追われつつ、二児の父親としても奮闘している。
子どもの頃、タツノオトシゴは実際には存在しない、空想の動物だと思っていた。神話のいきもの龍がその理由だ。初めて水族館で生きているタツノオトシゴを見たときは正直驚いた。
龍の下に耳を書いて聾。龍には耳がない。龍の耳が海に落ちてタツノオトシゴとなったという説がある。龍に耳がないことから、聾という漢字は差別用語とされ、多くの聾学校は「ろう学校」と表記されるようになった。「障害」も似たような道をたどった。「害」は差別に通じるから「がい」と改められたり、また「障碍」と変換されたりする場合も多い。ちなみに文部科学省は「聾」の表記はしないが「障害」はそのまま使用している。
 「聾」という漢字について、ろう者の中には神獣としての龍の子どもという解釈により、「聾者」の表記に誇りを持つと発言する人たちもいる。
 差別用語や平等については様々な価値観や背景、それぞれの立場や解釈によって理解の仕方が異なるようだ。ものごとへの理解や判断は一方向からだけでは誤解や曲解につながる。様々な経験を通して多くを学び、深く考えることが不可欠だ。また、様々な人々の意見や考えをも糧にすることが肝要だろう。さらに一度出した答えも学びによって変わることもある。変化を成長とするならば、変わることを恐れずに学び続けたい。

平江先生

 黄美会HPも早20年目突入で、こつこつ蓄積した写真が結構な枚数になり、黄美会の活動のエビデンスみたいな感じで、いろいろ活用できて嬉しいです。スナップ撮影が好き、活動記録に追加するの簡単、データが充実してくると満足感も増し、自分の好きなこと(スナップ撮影とホームページ作り)が好循環して、楽しくやれています㊗️ 質より量!、量が膨大に増えることによる質の醸造?かな〜と思います😃

照之

2024年1月12日
激動の辰年始動
黄美会も激動のスタート?
今年もやる!
照之君今年もたくさんの写真ありがとう。
5月の「追悼陣内久紹展」に向けても、よろしくお願いします。
君の記録写真が今こそ力を発揮します。
だれにでもできそうなことだけど
だれもやらないこと
私も肝に銘じて、だれもやらないことに全力を注ぎます。
「褒められもせず、認められることもなく。ましてや理解されることもない。そんなことにこそ愛をもって、命がけで挑む!」それはきっと幸せなことだと思います。
平江潔

今日の続編
佐賀新聞への投稿を今年も継続します。
ボツでもいい、書き続けることに意味がある。
以下、1月7日に投稿した原文です。
「辰年にたつ」
2024年新しい年がスタートした。
小城高校で金子剛先生に美術の指導を受けた卒業生による黄美展も48回目を開催した。1977年以来、毎年正月に集い続け、再来年の50回目の記念展に向けても動きを始めた。
個人的には昨年は2度の個展、障害者通所施設でのアート教室の取り組み、佐賀新聞ひろばへの投稿などを通して、表現することや伝えることの難しさと大切さを感じた。
 「アートは力」障害があろうとなかろうと、ものづくりの楽しさは生きる力に直結する。
「ことばは力」使い方を間違えれば刃ともなるし、人に勇気を与えることもできる。
今年もことばで想いを届けられるように文章を書き、ことばにできないことは絵で表現できるように描き続けたい。
ちなみに読者投稿コーナー「ひろば」は色々な人々が文章で集う広場と思っていたが、多様な意見や貴重な経験を拾い集める場ではないかと思えるようになった。
 「逃げ出さず、投げ出さず、腐らず、挑み続ける。」障害児の子育てや教育、表現活動を通して得ることができた私の信条だ。
 今年は辰年。断捨離も終活もままならぬが、余分なものを絶つ、地に足をつけて立つ、そして新たなステージに向かって発つ。そんな一年にしたいと思う。

おはようございます。平江です。
昨日、第48回黄美展無事終了
ワークショップ体験コーナーもほどほどのお客さんで良かったです。
後片付けの後、「陣内久紹追悼展」の会議をしました。
詳細はこれからですが、準備に入ります。
会期 2024年 5月24日(金)〜6月2日(日)
会場 小城市歴史資料館2階
企画展示室:創造のガラス壁ギャラリー:ホール(通路)
ご理解とご協力お願いします。2024.1.10

照之です

 あけましておめでとうございます㊗️
 今年もよろしくお願いします

 10泊11日のNOMA個展出張から無事帰宅して、軽めの大掃除して、新年を迎えました。平江先生プロデュースの下、猛の飾り付けヘルプは心底有難く、組長との会食、いろんな観覧者との対話、差し入れ頂き、新たな出会いもあり、今後の展開が朧げながら見えるような感じでした。今年は昇り竜の如く躍進したいです😃

2024.01.01


2023年分
2022年分
2021年分
2020年分
2019年分
2018年分
2017年分
2016年分
2015年分
2014年分
2013年分
2012年分
2011年分
2010年分
2009年分
2008年分
2007年分
2006年分
2005年分