Generative art

長年暮らした九州を離れて神戸で働き始めた2007年4月1日、もうすぐ40歳の俺は1万枚を目指して毎日1枚ずつ更新するウェブ画集を始めることにした。簡素な数式による抽象アートを自作プログラムで描き続けています。数の深遠さを感じながらの描画三昧、約27年の修業を貫徹できたら、俺は至福の境地に達した67歳の爺さんになってるだろう。コンピュータによる描画をdrawと呼ぶので、この計画を始めた頃は「Today's mathematical drawing」と銘打ちましたが、drawingは素描,線描,製図などを示すので、ちょっと違うなと思い直し、いろんなキーワードでGoogle検索して、「Today's generative art」に変更しました。

画集の四隅にある四つ足マークは、天の四方の守護神獣(青龍,白虎,朱雀,玄武)のような護符もどきで、約1万8千種から4つをでたらめに選んでいます。一番下には今日の日付と誕生色、俺の生存日数を並べています。フラクタルやカオスなどの再帰的数式、(超)複素数、乱数、いろんな関数など、自由な発想であれこれ考案し、数が織りなす造形画を描いています。淡白な素描風、濃厚な精密画風、いろいろごちゃまぜですが、ご高覧ください。

アートへの道

俺は数学とアートが好きで、エッシャーバザルリーの数学的画面構成が好きだ。小さい頃から絵が好きで、落書きばかりしていて、絵画教室に通ってた。水彩絵の具やクレヨンを使ったドローイングだけじゃなく、デカルコマニー、マーブリング、スパッタリング、スクラッチなどの体感的な抽象画をしたことは印象深い。中高生の頃、科学雑誌(OMNIやNewton)で「自然の幾何学 フラクタル」の記事を読み、こんな簡単な数式から自然っぽい造形ができるのかと衝撃を受けた。フラクタルはCG(コンピュータグラフィックス)で描かれてるらしく、コンピュータで数学とアートを融合した造形ができるんだと知る。小城高美術部の恩師 金子剛先生の「九州芸術工科大学に行ったら、数学と芸術どっちともできるばい」との啓示に導かれ、合格圏内判定で受験するが油断大敵の不合格、佐賀高等予備校で浪人生活を送る。優待生になれたので授業料免除になり、不幸中の幸いだった。


「ゴッホの星月夜」模写完成記念写真

美術部には、優しい、怪しい、楽しい、いろんな卒業生が出入りして、デッサンの指導を受けたり、食べ物をおごってもらったり、バカ騒ぎしたり、夏はキャンプに行った。美術室に入り浸りで、先生と一緒に弁当を食べたり、本当に懐かしい思い出だ。高校卒業以来、黄美会(金子剛の教え子からなる美術部OB会、小城高の同窓会「黄城会」にちなんだ命名)の展覧会に毎年出品し続け、同期の猛と昇平は大親友だ。小城高美術部への入部を勧めてくれたのは、新卒採用で牛津中に赴任した平江潔先生で、俺の1年生の時の担任、美術の授業とバレー部の指導を賜り、小城高美術部OBだった。平江先生の部屋にはエッシャーの画集、金子先生の部屋にはバザルリーのが画集があり、俺はしょっちゅう眺めてた。平江先生と金子先生が俺をアートの道へ導いてくれたことに深く感謝しています。偶然の出会いじゃなく、全てが必然的運命だと思う。

造形シミュレーション


俺が初めて描いたCG

大学生になり、YKKの吉田奨学金が数ヶ月分まとめて入ったので、SONYのMSX2を買った。49,800円のかわいいパソコン、液晶画面の無いノートパソコンみたいな奴で、小さなテレビも買って接続する。べーしっ君とゆーBASICもどきの言語でプログラムを書き、時間を忘れて数理的CGに没頭した。MSX2は計算速度が超遅いパソコンで、ゆっくり描画されていくのを眺めながら、いろいろ考え、プログラムを改良していった。その当時のCG画像を再描画した。これは代数曲面の地図みたいな奴で、曲面を高度別に塗り分けたらこうなる。観察地点や代数曲面の数式を変えると、いろんな地図ができる。これが俺の数理的CGの原点だ。日常生活では無用扱いされてる数学とアートがコンピュータで融合した感じで、俺は数理的CGに嵌っていった。数学+アート+シミュレーション=数理的CG、まさしく芸術工学的な分野だと思ってた。

念願のフラクタルも描画してみた。フラクタルはフィボナッチ数列みたいな再帰的な数列を使って描くために膨大な計算が必要で、コンピュータが不可欠だ。19世紀にフラクタルに気付いた数学者がいたが、コンピュータが無かったのでどうしようもなかったらしい。20世紀後半、コンピュータでシミュレーション(模擬実験)した結果、無味乾燥な数列が生物を連想させる有機的な形を表していることが判った。同様のシミュレーションで、単純な数式からランダムな現象が生じる「カオス」という現象も発見された。これらの発見以前は、単純な原因からは単純な結果が生じると思われていたが、シミュレーションによって発掘されたフラクタルやカオスは「単純な数式でも複雑な現象やランダムな現象が生じる」という新しい視点をもたらした。科学者は単純な原理で自然が成り立ってることを信じているが、たとえそのような原理が見つかっても予測できないことがたくさんあるのだ。当たり前やね! 原理は単純でも結果は複雑、その結果が何かの原因になり、再帰的な輪廻転生が繰り返されていく。身の回りの自然を眺めるだけで、なんとなく解るね。

従来の科学的方法は「理論、観測、実験」の3つだったが、第4の手法としてシミュレーションが加わった。観測できない現象(クォークの振る舞い)や実物で実験できない現象(未来の地球気候)などを解明する道具として活用されている。手描きの限界をあっさり越えて、表現領域を拡張したCGは芸術分野でのシミュレーションと呼べるだろう。一般的なCGでは描き手が形や色などについて様々な数値を決めていかなければならないが、数理的CGのシミュレーションでは、プログラムによって自動的に数値を決めていく。描き手は、そのプログラムからどんな造形が生まれて来るのかを眺める観察者となる。数理的CGにとって、プログラムは環境みたいな性質を持つと思う。地球という自然環境に様々な生物が発生したように、コンピュータで設定した造形環境の中でシミュレーションを繰り返して作品を自動生成し、それを観察して調節するのだ。

自然の造形の妙


付加条件付きマンデルブロ集合

卒業研究では「付加条件付きマンデルブロ集合の描画」というネタをやり、2次元集合なのに3次元的重なりが生じる2.5次元的なフラクタルの描画法を考案した。普通は数列が発散するかどうかを条件にするけど、さらに条件を加えて、いろんなフラクタルを描画した。窓の無い狭い計算機室に籠って発狂寸前になりながら、プログラム作りとバグ潰しの修行をしてた気がする。

その当時、気晴らしに「紙をでたらめにどんどん折っていくと、どんな折れ線になる?」をシミュレーションしてみた。実際に紙を折り曲げ続けると、折り曲げるたびに紙が厚くなり、だんだん折り曲げ難くなり、折れ線は不鮮明になる。折り曲げてない部分には歪みによる余計なシワが入る。たぶん新聞紙だったら9回ほどで限界、強引に曲げたら紙が裂けてしまう・・・このように、実在の紙を折り曲げ続けることには限界がある。頭の中で想像できることは、最初の折れ線は一本の線になる、次に折り曲げてできる折れ線は今の折れ線に対して左右対称になる、折れ線はどんどん細かく折れ曲がっていく、などだ。しかし、折り曲げ回数が増えたらどんな図形になるのかは想像し難い。ちなみに一般的な新聞紙の厚さは0.125mmほどなので、仮に41回折り曲げたら約27万km、月に届きそうな厚みになる。


でたらめ折り紙の展開図

紙を折り曲げる話は、倍増する現象が日常的な感覚を超越していることを示す際によく引き合いに出されるけど、俺はその折れ線をみたくてしょうがなかった。でたらめ折り紙の展開図は繊細なレース編みのような、左右対称の構造が複雑に折り込まれた紋様、エッシャーやフラクタルを連想させる無限分割の眺めだった。でたらめに紙を折り曲げていくという単純な行為には、こんなに素晴しい造形美が秘められていたのだ。コンピュータによる造形はいつでも再現可能の造形と思われがちだが、この折れ線紋様はでたらめな乱数を使って計算したので、同じ乱数を使わない限り同じ紋様はできない。コンピュータ造形の再現可能性は乱数によって薄まり、手作りの芸術作品が漂わせる「いまここにしかない」という聖なる一回性、アウラ(aura、オーラと読むのが一般的?)が香って来るんやね。


流木みたいなフラクタル

修士論文では3変数の再帰的数列による3次元フラクタル図形の描画に関する研究をした。従来の奴は4元数による4次元フラクタルの断面を3次元フラクタルとして切り出していたが、俺は3次元空間の中でフラクタル図形を構築した。単純な数式から流木みたいな自然っぽい形が生まれるのを眺めながら、自然の造形の妙をCGで解明してるような感覚に酔いしれていた。

浪人したおかげで、新設された博士課程の一期生になれた。博士論文のネタはデジタル図形の認識に関するもので、それまでのCGとは異なっていたが、プログラミングの素養は役立った。工学博士を取るための研究の合間に、こつこつCGをやってた。博士2年の時に日本CGグランプリというコンペに応募、学生の部と一般の部に分かれてたけど、俺は一般の部に出して見事グランプリを受賞した。賞金百万円のはずが、代わりに百万円相当の記念品をもらい、自分には不要な物ばかりだったので、友達に分配した。授賞式も無かったけど、資生堂デザイン塾に無料招待してもらえたのでラッキーだった。翌年、そのCGコンペは消滅した。


1994年 日本CGグランプリ受賞作「捩三環」

大学では三菱、サン・マイクロシステムズ、シリコングラフィックスなどのUNIX系ワークステーションを使って、演習を受けたり、研究していた。めでたく博士号を修得でき、長崎総合科学大学(元 造船大)に就職でき、それ以降はLinuxパソコンを愛用している。高価なワークステーション並みのことが安価なパソコンでやれるし、LinuxはフリーなOSなので、ランニングコストが安いもんね。WindowsやMacも時々使うけど、俺はLinux派だ。


どんどん先へ行こう!


擬似3元数によるフラクタル

社会星人になると何かと忙しい。真面目な論文執筆、講義や卒研指導、くだらない会議など、結構時間が奪わてれると感じることもあるけど、深く悩むと危ないので、気にしないことにしてる。雑多な日常の合間に数理的CGを描いて楽しんでる。例えば、複素数を3次元に拡張した擬似3元数なる数体系を勝手に定義して、3次元フラクタルを描画したりして、新たな造形領域を発掘しようとしてる。創造的行為をしてる間はなんだか穏やかな気分になれる。

数理的CGの良いところは、プログラムで何枚でも自動的に描画できる、過去のプログラムを再利用したり、ネットに繋がるパソコンがあればいつでもどこでも研究室のパソコンを遠隔操作して作業できるなど、俺の命令に絶対服従で不眠不休の描画職人を酷使できることだ。計算速度は約1年半で2倍になるので、俺が今使ってるパソコンは大学入学当時に使ってた奴よりも何万倍も速い! 今は時間がかかる計算でも、ちょっと先の未来では秒殺されるだろう。いろんなプログラムを書き、改良したり組み合わせたり、描画の道具を磨くのも楽しいです。プログラムを再利用して再描画、recycle & redraw、環境保護的な造形手法じゃないかな?

まず小さな画像を大量に描き、好きなのを選び出し、数式を調節していきます。乱数を使って気まぐれに決めたりもします。時々、大画面印刷してみたくなり、例えば600dpi(1インチあたり600画素)のB1サイズ(1030mm×728mm)の場合、24330×17196の約4億画素、RGB各256階調なら約1.2GBの巨大なCG画像を計算します。ハードディスクがガリガリ唸って回り続けるので、パソコンが壊れるかと心配だけど、どうにか無事に計算終了、大型プリンタで印刷、やっぱりでかい作品は迫力あるね。

俺の画集の画像は、RGB各8ビットの24ビット色、640×360画素のデジタル画像なので、その組み合わせは 224×640×360 = 約3×101664575、約166万桁の数字だ。正確な値はコレ。もし、毎秒1桁ずつ書いていったら、約19日かかります。そんなことしたら途中で気が狂いますね。俺が目指してる1万枚画集はこの組み合わせの中にある1万枚に過ぎず、無のような枚数だけど、俺が描いた画像は一期一会的でかけがえないものに思える。正確な値を眺めると、いろんな数字の並びがあり、我が家の電話番号が含まれてるかどうか調べてみたけど、ありませんでした。たった10桁の数字なのにね。円周率にはあるかな? 昔使ってた3.5インチのフロッピーディスクは1.44MBだったから、166万桁の数値をテキスト形式で保存できない。昔はそんなにしょぼかったんだ。

教育テレビの「にほんごであそぼ」で数詞の歌があり、一,十,百,千,万,億,兆,・・・,那由他,不可思議,無量大数と唱えます。無量大数はたったの1068、パソコン以前の素朴な時代は桁数が少ないなぁと思ってたら、華厳経には不可説不可説転というのがあり、仏典に現れる具体的な数詞としては最大らしいです。その数はビックリ仰天の、

1037218383881977644441306597687849648128
0を約1037個も書き連ねる巨大な数、無限大と比べたらゼロとみなせる有限な数だけど、誰も書き終えることはできない。さらに巨大なグーゴルプレックスがあり、もっと巨大な数もあるけど、それでも無限大と比べたらゼロに等しい。しかも、無限大よりも大きな無限大があり、さらに大きな無限大があり・・・これを無限に繰り返す超限数がある。

自由な発想、試行錯誤、幸運な偶然で、数の深遠にある造形美を描くのは楽しい

これからも俺のCGをただ描き続けよう・・・ JUST (RE)DRAW IT
「考えるな、感じるんだ!」 ブルース・リー
「いっそう完全で深淵で複雑な、つまり、より形而上学的な芸術」 ジョルジョ・デ・キリコ
「人間に数の意味を発見する力を授けた創造者たる神に祈れ」 イスラム教開祖 ムハンマド
「自然界はシンプルなコンピュータ・コードで再現できる」 スティーブン・ウルフラム
「万物の根源は数である」 ピタゴラス